小金井駅より北西方面のルートです。駅周辺の市街地から田園をぬけ、姿川を渡り北上し国道4号線方面へと戻り、国道4号線を南進して戻るルートです。
「天平乃湯」をはじめ、保健センターや子育て支援センター・地域包括支援センターなどもある保健福祉センターです。休憩室やレストランもあります。
築山から見る田園風景と筑波山の遠景は見事です。築山から下る滑り台はお子様に人気です。バーベキューやオートキャンプもできます。
近隣の箕輪城跡の正確な築城年代、城主等はA資料がないため不明ですが、小山氏の出城として寛正3年(1462年)に小山高朝によって築かれたと伝えらています。
平成28年5月に開庁した新庁舎は、地上4階建(地下階なし)免震構造・鉄筋コンクリート造となっております。コンセプトは、市民に開かれ、親しまれ、災害時に防災指揮と救援活動の拠点となる高機能防災庁舎です。
真言宗智山派の寺院で、建久7年(1196年)に新田義兼によって建立されたと伝えられています。江戸時代の将軍家日光社参時には御昼食所と定められ御成御殿がありました。隣接する金井神社本殿は、古くから小金井宿の鎮守として信仰されてきた神社で、本殿は一間社三方入母屋造りという建築様式を伝え、壁面全体には壮麗な彫刻が施されています。
江戸の日本橋から22里(約90㎞)の地点にあり、発掘調査により旧日光街道の砂利敷道路とその側溝や、寛永通宝、陶磁器の破片なども見つかっています。
小金井駅より南西方面のルートです。下野国分寺周辺まで西進し、市境の県道18号線を北上、県道44号線を東進して戻るルートです。
隣接する国分寺跡・国分尼寺をはじめとする下野の歴史や、平地林の緑豊かな自然を楽しめる公園です。桜の名所としても知られ、毎年開催される天平の花まつりでは、多くの来場者で賑わいます。
天平13年(741)に聖武天皇の詔によって全国60数か所に建てられた国分寺のひとつです。伽藍(寺の建物)配置は東大寺式で、南北一直線上に南から、南大門・中門・金堂・講堂が並びます。塔は回廊の外側東方に置かれ、基壇の規模から七重塔と推定されます。
五輪塔は塔婆の一形式で、県内では鎌倉時代中期以降に多く造られました。国分寺の五輪塔は国分寺・尼寺に近いことから聖武天皇・光明皇后・行基菩薩を祀ったという伝説があります。
軟式野球・ソフトボールのグラウンド、テニスコート、クライミングウォール棟がそろった運動公園です。
〈利用時間〉8:30~21:30(年末年始を除く)
〈予約問合〉 B&G海洋センター
☎ 0285-44-5131
「天平乃湯」をはじめ、保健センターや子育て支援センター・地域包括支援センターなどもある保健福祉センターです。休憩室やレストランもあります。
旧国鉄の救援電車が保存されている公園です。隣接する小山用水親水公園とともに、季節毎の木々を楽しめます。
自治医大駅より北東方面のルートです。下野薬師寺跡エリアをぬけ、道の駅しもつけまで向かったら折り返し、西進して戻るルートです。
栃木県南医療圏の基幹病院として1974年に設立された大学附属病院です。病院敷地内は、松や桜などの植栽が整備されています。
下野薬師寺の僧侶が身を清めて、修行したところという伝説があります。江戸時代の絵図にも記されており、昔は湧水があり、きれいな湿地であったと考えられています。
7世紀後半の天武天皇の頃に創設されたと考えられている国指定史跡です。8世紀中ごろには、僧の資格を得るための場である戒壇が設置され、奈良の東大寺、九州の筑紫観世音寺とともに、日本三戒壇院のひとつに数えられ、東国随一の寺として隆盛を極めたと伝えられています。
貞観17年(875)に創建されたと伝えられています。現在の社殿は寛文2年(1662)佐竹右京太夫によって再建されたもので、栃木県指定有形文化財に指定されています。
市内の情報をキャッチできたり、市内物産の販売・新鮮野菜の販売など、多様な施設です。地元野菜、かんぴょう、味噌、ジャム、銘菓、弁当、パン、おやきなどを販売しています。
下野薬師寺の別院として建立されたと伝えられ、生雲山地蔵院の山号をもちます。栃木県指定文化財のシラカシや下野市指定文化財の道鏡塚などの文化財があります。
自治医大駅より南東方面のルートです。県道339号線を南進し県道44号線を折り返し、北上し戻る市街地ルートです。
クヌギやコナラなどの自然林を残しながら整備された公園です。多目的グラウンドや遊具のほかに、恐竜のモニュメントがあり、子どもたちからは恐竜公園として親しまれています。
駅東土地区画整理事業により整備された公園です。グラウンドや遊具のほか、国分寺東児童館が隣接しています。
豊かな自然を残しつつ適切な保全管理を目的とした遊歩道「哲学の道」沿いにあり、ウォーキングなどの健康づくりの拠点として親しまれています。コミュニティセンター友愛館・国分寺東小学校と隣接しています。
緑豊かな遊歩道と芝生広場のほかに調整池である薬師ケ池があります。薬師ケ池は、春は桜が咲き乱れ、冬は白鳥が飛来するため、四季折々の風景を楽しむことができます。
雨水処理を目的とした水路状の調整池です。水路に沿った桜並木の遊歩道や公園・広場が点在する、見て楽しい・通って楽しい遊歩道は住宅街のオアシスとなっています。渓流美をイメージした自然石による護岸や植栽による景観は、都市景観大賞(平成4年)を受賞しています。
芝生広場や屋外ステージ、テニスコートの他に、全国の県木が植えられた県木の森があり、市民に親しまれています。
石橋駅より北西方面のルートです。駅周辺の市街地をぬけ、姿川沿いの田園を北上し、国道4号線方面へと戻り、市街地を南進して戻るルートです。
グリム童話の世界にありそうな風車風見台がシンボルです。豊かな自然を生かして整備された公園で、季節の花が咲き乱れます。
○健康づくりのためのトレーニング施設
〈予約制〉健康増進課 ☎ 0285-52-1116
○デイサービスセンターきらら
〈問合先〉 ☎ 0285-52-3710
芝生広場は姿川と隣接し、市民に親しまれています。
藤原鎌足公十代の後裔飛鳥井刑部卿が開拓司として当地に居住し、大同2年4月10日に、地方鎮守の神様として磐裂神、根裂神をお祀りしたのが始まりとされます。春祭には太々神楽厄除祈願祭が行われ、夏に古山のかかし祭りが行われております
グリムの世界情緒あふれる建物の1階展示ロビーでは、グリム兄弟やグリム童話について、また姉妹都市のあるドイツについて紹介しており、期間限定のイベントも開催しております。
5月中旬ごろから、ジャーマンアイリス(欧米では虹の花)約500種3万株が、つづいてスカシユリが色とりどりに咲き、美しさを競います。
天応元年(781)に開山され、江戸時代には、徳川将軍家の日光参拝道中の休憩所、明治期は真岡県・日光県等が統合され栃木県となるまでの仮庁舎がおかれていました。
石橋駅より南西方面のルートです。県道65号線・国道4号線を一気に南進し、県道183号線を姿川まで西進。姿川沿いを北上して戻るルートです。
天平宝字3年(759年)に創建された日光道中石橋宿の産土神です。下野市周辺において特徴的な下野型古墳と呼ばれる大型の古墳、下石橋愛宕塚古墳が近隣にあり、その一部が境内に移設されています。
野球場兼陸上競技場、テニスコート、プール、ゲートボール場などからなる運動公園です。
〈利用時間〉8:30~21:30(年末年始を除く)
〈予約問合〉 スポーツ交流館
☎ 0285-52-1124
国道4号線側、約1000メートル立ち並ぶ、祇園原の松林。 樹齢100年を超えるアカマツが立ち並ぶ様子は、周辺住民だけでなく、国道を利用する人たちの心を和ませる貴重な景観です。
下野市最北端に近い弥五郎次橋から下野市内を縦断し思川との合流点に近い黒本橋までの延長15.1kmのサイクリングロードです。
グリム童話の世界にありそうな風車風見台がシンボルです。豊かな自然を生かして整備された公園で、季節の花が咲き乱れます。
下野薬師寺跡に配流された道鏡を追って、孝謙天皇がこの地までやってきましたが、病にかかり亡くなったため、現在の神社付近に葬ったという伝説が伝えられています。
道の駅しもつけより南東方面のルートです。県道310号線を東進し集落をぬけ県道35号線を南進。田川沿いを北上して戻るルートです。
「ふれあい棟」ではトレーニングルームや入浴施設があります。「プール棟」では25mプールと子どもプールがあり、健康づくりに活用できる施設が整っています。
全長約85mの二段に築成された前方後円墳です。これまで埋葬施設や出土遺物が確認されていないため詳細は不明ですが、6世紀末に築かれたと考えられています。
1号墳は全長46mで4世紀中頃、2号墳は全長47mで4世紀初めに造られたと考えられる前方後方墳です。2号墳は古式古墳特有の形をしており、県内最古級の古墳として注目されています。
文治4年(1188年)、小山城主藤原朝政が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して建立したとされています。境内には4枚の花弁をかたどったように彫られた珍しい形をた工芸的な価値も備えた石造手洗鉢が設置されています。
サッカーグラウンドがある運動広場です。
〈利用時間〉8:30~17:00(年末年始を除く)
〈予約問合〉 南河内体育センター
☎ 0285-48-2392
下野市のほぼ最南東部、かつ田川サイクリングロードの南端である坪山橋近くに位置しています。
宇都宮市役所付近の城東橋から、下野市内の坪山橋までの延長22.7kmのサイクリングロードです。
道の駅しもつけより南方面のルートです。田園内の農道を南進し、集落をぬけて県道146号線を北上します。下野薬師寺跡エリアを通り戻るルートです。
県内に現存する紀年銘のある宝塔としては最古のもので、関東地方でも代表すべき宝塔のひとつです。元久元年(1204)に佐伯伴行という人物が妻とともに大檀那となり亡き父と母の菩提を弔うために造立したとされています。
6世紀前半に造られたと考えられる全長37mの前方後円墳です。横穴式石室から銀装太刀などの豊富な副葬品が出土しています。墳丘は削平されていましたが、現在は復元されています。
鎌倉時代の中期に、慈猛上人が下野国薬師寺の座主となり、仁良川に満福寺を開創すると伝えられています。境内のツバキは市天然記念物となっています。
下野薬師寺の別院として建立されたと伝えられ、生雲山地蔵院の山号をもちます。栃木県指定文化財のシラカシや下野市指定文化財の道鏡塚などの文化財があります。
7世紀後半の天武天皇の頃に創設されたと考えられている国指定史跡です。8世紀中ごろには、僧の資格を得るための場である戒壇が設置され、奈良の東大寺、九州の筑紫観世音寺とともに、日本三戒壇院のひとつに数えられ、東国随一の寺として隆盛を極めたと伝えられています。
貞観17年(875)に創建されたと伝えられています。現在の社殿は寛文2年(1662)佐竹右京太夫によって再建されたもので、栃木県指定有形文化財に指定されています。
奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇の詔によって全国60数か所に建てられた国立の寺院のひとつである、下野国分寺跡を中心とした史跡エリアです。
昔の民具・農具などが展示されています。資料館の中には囲炉裏があり、趣のある建物です。資料館の隣には、天平の芋煮会で使用する大鍋があります。
古墳時代から奈良・平安時代に作られた史跡について、古代の政治と民衆の生活、中央と地方の関わり、土木・建築技術の発達など、いくつかの側面から取りあげて紹介する資料館です。
天平13年(741)に聖武天皇の詔によって全国60数か所に建てられた国分寺のひとつです。伽藍(寺の建物)配置は東大寺式で、南北一直線上に南から、南大門・中門・金堂・講堂が並びます。塔は回廊の外側東方に置かれ、基壇の規模から七重塔と推定されます。
正式名称は「法華滅罪之寺」です。下野国分寺跡の東方約600mに位置し、同じく聖武天皇の詔によって建立されました。全国の国分尼寺で最初に整備がおこなわれた史跡です。
この五輪の塔は鎌倉時代の様式であり、この地方の豪族が供養塔として建立したものと言われています。同じ様式の塔が数多く建立されたものと思われます。はじめ姿川沿いにありましたが、明治初期にここに移されました。この付近は「紫・村崎」という地名であることから、源氏物語の作者である紫式部の墓と、言われるようになったと思われます。
八重桜を中心に公園内の450本の桜が4月中旬から開花します。まつり期間中は、坊ちゃん列車を運行し、 野外ステージでは歌謡ショーなど多彩な催しを行っています。
7世紀末頃創建、730年頃には国の出先機関である造下野国薬師寺司が設置され、761年には東大寺・筑紫観世音寺と並ぶ三戒壇のひとつとされた下野薬師寺跡を中心とした史跡エリアです。
グリム童話の世界にありそうな風車風見台がシンボルです。豊かな自然を生かして整備された公園で、季節の花が咲き乱れます。
発掘調査の成果により、平成12年度に回廊の北西隅部の復元工事を行いました。回廊は1辺約100mの規模で、金堂と南門を結んでいたそうです。東面回廊は現在の県道の下になっています。
平安時代後期に下野薬師寺は衰退したとされています。室町時代に足利尊氏の発願により、後醍醐天皇以下、南北朝の戦いの戦没者を弔うため、日本各地に設けられた寺院と言われています。
正六角形造りのこの建物は江戸時代後期のものです。ここに戒壇があったという伝説があります。近年の調査で堂の下層に古代の基壇建物が確認されましたが、戒壇堂かどうかは判りません。
6世紀後半に築造された古墳で墳長74mの前方後円墳です。前方部を西に後円部を東に向けています。 石室からは武器・馬具類が、墳丘からは埴輪が見つかっています。
下野薬師寺跡ふるさと歴史の広場には、紅梅と白梅が約100本植えられています。 例年3月上旬に、史跡のPRのため梅まつりを開催しており、毎年多くの人で賑わいます。